チラシ裏のブログ

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研究用

絶対的と近似的

ぼけーっと考えてた事だが、この世にある多くのものは一見すると絶対的数値で換算できるのですが、よくよく考えると近似的にしか表現出来ないときがある。

この絶対的数量とは、りんごが1個2個という話じゃなくて、似非科学者がよく言う物事の絶対性のこと。

彼らがよく題材にするものに、特殊相対論においての光速度の扱いなんてのがある。特殊相対論で光速を定義しなかったのは誤りだ、みたいに。その論理は非常に簡単で、たとえば新幹線の中で懐中電灯を点けたら、懐中電灯から出る光子の速度は新幹線の250km/hが付加されるじゃないか、光速は一定とは言えない、みたいなもの。

これは自分の記憶では彼らの言うとおりで、250km/h分速いはず(すぐに減速すると思いますが)ですが、光の速度300000km/sに比べればカスみたいな速さですから、実質的に無視出来るものとして、まともな科学者や技術者は扱ってるわけです。似非科学者が面白いのは、そういう誰でも当然だと思ってる事をあたかも「自分が発見した」と言い張るところなんですが、それは本題と違うのでおいといて。

似非科学者は基本的に、多くの物事を抽象化して考えます。どこまで抽象化するかはその人に寄りますが、抽象化の過程で事物に対し、絶対的であると仮定してしまうのが特色ではないだろうか。

たとえば、自分たちの日常で「木材」と言ったときには、木材すべてを同じものとして考える。しかし、木材の個体を考えると、一つたりとも絶対的に同じ分子配列になってるものなんてないだろう。が、そうすると何がなんだか分からなくなるので、近似できる範囲内の個体に対し一様に、木材と呼ぶことになる。

身近にあるもので個体の構造を考えたときに、一番近似性の高いのは金属結晶、わかりにくければ氷でも構わない。氷は、空気が入ってない部分では結晶化してますから、原子レベルでの近似性を問えるだろう。木材に比べたら遥かに近似性が高いだろうし。

あとは、同じ型から作られた製品についても近似性が高いと言える。形状的、または分子の構造的にも、近似性が高いことは、目でみたり、触ったりすれば分かる。

だが、本当に完全な近似性を持つかどうか、つまり絶対的に同じであるかどうかは、ほとんどの物で問えないんではないだろうか。特に、相対論なんかを持ち出すような量子物理の世界での近似性を、それより大きい物の尺度である物性物理、または実社会の論理で考えるのは危険だろうし。

物性物理の範囲内で考えても、ほとんどの物は近似的でありさえすれ、絶対的ではない。日常生活では絶対性を問わないと何も出来なくなってしまいますが、そういった思考を技術分野に持ち込むのは危険だなぁ・・・とか思ったわけで。

まぁ当たり前のことをいまさら考えてみただけですが。

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オイロン: 理論でも技術の分野でも、絶対的な部分とそれ以外の部分とに分けて考えるのが科学的手法で、
全体としてみれば近似的であったとしても、INPUTとOUTPUTの関係を明確にすることを重視します。
その結果に満足できなければ、INPUTに新しい要素を組み込んで理論なり技術なりを再構築し、
その時点で最も満足できる結果が得られた後、科学雑誌への投稿や製品の発表することになるのでしょう。
一方、似非科学にはINPUTとOUTPUTしかなくて、その間の関係が曖昧であるといえますね。 (2007/12/12)
©ねこ_2017.(RSS/管理/提供: AL2)
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