チラシ裏のブログ

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研究用

社会という名の神

 企業が調子よくなれば、労働者の状況も次第によくなるというのは、どうも幻想のような気がします。企業の安定性=労働者の安定性という旧時代のシステムが崩壊していると言われているのに、実際の政策はその方程式のまま、企業優位のシステムになっているのではないでしょうか。結局、実際の消費としては上昇せず、金が「企業」のなかで止まって末端までは決して届かない。

 現在の生存の保証は結局の所、金銭でしか対応できない。「法人」である企業も人と同じように、その生存の為に金銭をため込む。そのため企業は残り「人は死ぬ」という構造になっているのではないでしょうか。人を生かすため、よりよく生きるための「企業」というシステムが、逆に人々の労力を吸って、システムだけが生き残る。システムの下位存在として人は存在し、取り替えのきく部品として人がパーツ化されていく。

 そのなかで生き残るためには「取り替えのきかない存在」になるしかない。しかしどうなれば「取り替えのきかない存在」となれるのか、そのイメージが社会には存在しない。諸行無常の世の中に於いて「取り返しのつかないもの」など何も存在しないからだ。

 結局の所、われわれはロシアンルーレットのように、運、不運でしか未来をはかれない存在になりはてて居るのかも知れない。
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©ねこ_2018.(RSS/管理/提供: AL2)
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