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研究用

魔女狩り

 魔女狩りは西洋におけるトラウマに近いものかもしれない。現代になっても、まだその残滓が残っている。

 魔女狩りにおいて有名な書物に「魔女の鉄槌」という書物がある。その書物から魔女狩りの歴史は始まった。もともと男性理論の「キリスト(一神)教」の理論において、土着の大地母神信仰に根ざすものをどう取り込むかが問題だった。その一つの形は「マリア」信仰という形で取り込まれていき、もう一つは悪魔信仰という形で排斥されていった。ある意味「魔女の鉄槌」という書物はキリスト教のファンダメンタリズム(原理主義)に則って書かれたものである。
だから、キリスト教の一つの聖書原理主義であるプロテスタントが進んでいく中で同様に魔女狩りが進んでいく。

 そのときに犠牲になったのは村でちょっと奇矯な言動を行う者達である。それは例えば口うるさい老婆だったり、あるいは村になじめない若い娘だったりした。そうした共同体にとっての異物(ただし弱者)の部分に対して排斥行動をとらせる魔女狩りは良い口実になった。ある意味現在の日本の「いじめ」と行動の原理を一にする。そのなかでは集団から排斥されないように相手を誣告し、自分が共同体の一部だと認識して安心する。そのなかでは正論は通じない。通そうと思うのならそれなりの力を持たなくてはならない。

 そうやって、魔女狩りが猛威を振るった後、近代思想がおこり、魔女狩りはなりを潜めた(最後の魔女狩りは19世紀頃)。しかし、そのことが残した残滓は今もこういう形で残っている。人を罵倒するときの言葉として、また自分の弱さを外在化させ、それに対していたぶることにより自分の中のストレスを昇華させる。

 この出来事が本当にあった事かどうかは分からない。ただ、こういう出来事は我が国でも起こりうる話だと思う。近代の思想というのはそういう歴史をくぐり抜けてきたものだから。
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©ねこ_2018.(RSS/管理/提供: AL2)
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